―まるきさいとうぐみものがたりー
1945年9月 大空襲によって一面焼け野原になった青森を、復興のため材木を運ぶ小さなトラックが走っていました。これが丸喜齋藤組の創業です。
それから75年。住宅事業、鉄骨や鉄筋コンクリートの建造に加え、国際芸術センター青森(設計 安藤忠雄建築研究所)、新青森県総合運動公園陸上競技場(設計監理 株式会社伊藤豊雄建築設計事務所)などの大規模な公共工事や、太陽光発電などのエネルギー事業を手掛けるまでになりました。
今も毎日の朝礼で唱和する創業者の言葉があります。
「できるできる 必ずできる やる気があれば 必ずできる」
「永遠(とわ)に自分は 進歩したい」
建築の技術を高め、失敗も糧にし、成功するまで挑戦し続ける。常に努力を怠らない姿勢、企業精神が今日の成長につながっているのです。
「丸喜齋藤組は大工をとても大事にする会社。そしてそこが強みです」と東京支店長 佐藤 一成(さとう・かずなり)さんは強調します。
現在の社員数約50人のうち8人が自社大工で、60代の棟梁、20代の女性など幅広い年齢で構成されています。また大工が社内にいたことで非木造領域、住宅以外の領域への挑戦を積極的に続けてくることができました。
そして建築領域の拡大、技術の蓄積はさらなる強みにつながっていきます。
一般的な工務店では「木造のみ」など工法別に得意分野が偏ることが多いと言います。
一方で丸喜齋藤組は、木造+鉄筋コンクリート などのハイブリッド工法が可能なこと、建築家の難しい要望にも答えうる技術を持っていることで他社との違いを生み出しています。
建築家案件では、設計の真意を深く理解するために社内担当者は基本的に掛け持ちをせず丁寧に取り組む方針とのことでした。
大工を大事にする、このことが丸喜齋藤組を「選ばれる工務店」にしてきたのです。
そして高めた技術力はお客様のために注がれていきます。
佐藤支店長は言います。
「私たちの会社は、私たちの建築技術によって、すべての家族のくらしに快適さと喜びをつくりたいと考えています」「家族との幸せな暮らしを先延ばしにして、我慢して暮らすなんて、その人生はなんともったいない時間でしょう」
今回取材にお伺いした東京支店はとてもアットホームで明るい雰囲気でした。
オンライン住宅相談室を開設するなど新しい試みも始まり、これからも「選ばれる工務店」であり続けることと思います。
家を”買う”ものから"創る"ものへ
プラナビ編集部
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